夏はやっぱり怪談!

今回変なんです。
写真は撮りに行ったんですけど、目的のものがないんです。車には轢かれそうになるし。
という訳で雰囲気だけでも。




北向き地蔵尊

南酒出の丘陵にそれはある。
ここ久慈川べり一帯は、しばしば洪水に悩まされていた。ある大洪水の時である。対岸の小島村(現金砂郷町)にあった地蔵尊が、この地に流れ着いた。
「これはもったいないことだ」
村の人々は総出で、この地蔵尊を南側に向けて安置した。
ところが、その時のことである。ひっそりと静まり返った森の方から、人の泣くような声が聞こえてくる。その声は夜明けまで続いたという。

あくる朝早く地蔵の森に行ってみると、きのう南側に向けて安置した地蔵は北を向いているではないか。
「どうしたことだろう」
村の人々は、また元通りに向けなおして帰って行った。
地蔵尊はその晩も、次の夜も、しばらく夜泣きを続けたという。

秋の取り入れも済んで、小春日和のある日のことである。村の人々が集まって話し合っていると、地蔵尊がかすかに何かを言っているようである。皆が耳を澄まして聞くと、
「北が恋しい、北が恋しい」
地蔵尊の声である。それで、村の人々は、この地蔵尊を北向きに安置することにした。
それ以来、地蔵尊の夜泣きがやんだと言い伝えられている。





女郎ヶ池

中台の太田街道沿い、現在明糖油脂がある辺り一帯は、その昔、水を満々とたたえた沼地であった。
今からおよそ四百年前、水戸城が太田の佐竹に攻め落とされた時のことである。

水戸城主江戸重道の妻は、侍女数人を伴って夜遅く城中を抜け出し、佐竹勢の間隙をぬって中台村へ逃げ延びてきた。そこには大きな沼があり、月の光は水面に映り、水はきれいに澄んでいた。
妻は、侍女たちと髪を洗いさっぱりしたところで、沼辺の若草の上に腰を下ろし、今までの楽しかったこと、嬉しかったことの数々を語り合った。

話が一段落したころ、妻はすくっと立ち上がると「皆さん、さらば」の声をかけ、ざぶざぶと沼の中に入っていった。顔には微笑をうかべ、そのまま水中深く沈んでいった。
侍女たちも沼に手を合わせ、次々と後を追った。
月の光に照らされた沼の水面には、静かな波紋が広がっていった。

その後、村人が沼のあたりを通ると、どこからともなく若い女のすすり泣きが聞こえてくる。その泣き声につられて沼に近づき、髪が水面に映ると必ず沼の中に引き入れられてしまう。
沼に様々な異変が続くので、村人たちは相談し、鎮霊の大法要を行なった。その時、十二単の亡霊が現れたが、やがて一筋の光とともに昇天していったという。

後に、この沼地を村人は「女郎ヶ池」と呼ぶようになった。
また、いつのころからか、この沼から穫れた鮒や鰻は片目が白くつぶれており、不思議なものだという話が伝わっていた。

 ※参考資料「那珂町の民話」





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